読書

【読書感想】『本を読めなくなった人のための読書論』若松英輔

本を読めなくなった人にお勧めしたい本。
それが若松英輔さんの『本を読めなくなった人のための読書論』です。

字も大きくて見やすく、簡単に書かれているので
本を読めなくなった人も簡単に読めると思います。

どうやったら本を効率よく読めるようになるのか
多く読めるようになるのかについの本はよく目にしますが、
読めなくなった人のための本というのはあまり聞きません。
この本では本を読めなくなった時にどうすべきなのか書かれていました。
そしてどのようにして本を選ぶのか、本を読んでいくのかを教えてくれました。

結論は本を読めなくなったら無理に本を読まなくても良いということでした。
読みたいときに読み、読みたくない時は読まない。
しかしそれでも本が読みたい。
この本はそんな本を読みたいと思っている人に向けて
どうすればまた本が読めるようになるのかが書かれていました。

対話というのは2つの心の間に何かが行き交い、そして何かが起こることです。
読書とは一人でいても対話できることです。それは自分自身との対話でもあるのです。
読み手がこころを開いたとき本も語り始めます。
読めない時は無理に読まなくても良いのです。
読めなくなった期間は、なぜ読めなくなったののかという意味を、そして読むとは何か考える時間でもあるのです。

Contents

何のために本を読むのか、本を読むことについて考えよう


この本で読書がどのような意味を持っているのか考えさせられました。
作者にとって読書の意味とは、

・心の糧を取り入れる
・未知なる自分と出会う

です。

月に何冊本を読むかという問いありますががよくありますが、
これは読書は知識量を増やすためと思い込んでいるからです。もちろんそれも読書をする1つの理由でもあります。
しかし私たちはそんなに多くのことを知らなくてもいいのです。

本を読まなくてもしっかりとした人生観を持っている人もいます。
本を読むことで重要なのは読む人がその本で何を見つけるかです。
読書は多くの量をこなすだけではない可能性もあります。

それは出会いです。

この本が教えてくれるのは知識を蓄えるためだけの読書ではなく経験としての読書についてです。
知識量を増やすだけではなく経験となる読書が私たちには重要なのです。

経験は人によっては異なるし、経験は内なる声の導きによって始まります。
出会うべくして出会った本は、本当に必要なものは私たちの中にすでにあって、私たちは見過ごしているだけだということを教えてくれます。本は私たちの中にどれほど豊かなものを宿しているのか見つめ直すきっかけでもあります。

どうやって本を読めばいいのか分からないという人もいます。
読んだとしても正しく読み取っているのか不安になるという人もいるでしょう。
しかし本に正しい読み方などありません。
読むことに正しさなどなく、自分が本から読み取ったものを大切にするべきです。
正しい読み方があるのだと思い込んでいるのは国語の授業のせいかもしれませんね。作者が伝えたいことや主人公はどう思ったかなどテストで問われます。しかし感じ方は人それぞれで正しい答えなんかないのに。

私も本を読めなくなっていた

昔は本を1週間に一冊は読んでいたのに、いつの間にか全然読まなくなってしまっていました。
読みたい本はたくさんあるのに、手に取ってページをめくっても頭に入ってこないというか、目が滑ってしまうというか・・・。

そのため最近は小説を手に取らなくなり、ビジネス書や写真や図が多い本ばかり読むようになってしまいました。
『本を読めなくなった人のための読書論』このタイトルを見た時、
「私もしかして本が読めなくなっているのでは?家の本棚には未読の本がまだまだあるのに、このままだと読まずに処分してしまうかも」と思いました。読みたくて買った本なのに・・・

そのため本を読めるようにならなければと、この本を手に取った次第です。

この本を読んで思ったことは、
本を読めなくなった時、自分の心の声を無視していた気がします。そして嫌なことや苦しいことを無理に我慢してやっていました。人付き合いや友達作り、無理に明るい風を装ったり・・・。
この本では一人の時間を作ることが大事だと書かれていました。
SNSや人との時間に距離を置く時間を作ることです。

書くことと読むことは呼吸の関係。
本には読むことが出来なくなった時には何でもいいから書いてみることも必要だと書かれていました。
確かに本を読むようになった時ブログを始めました。そしてその時に本を図書館で借りて読んだりしました。
知識を入れたり、引用したりするために言葉を抜き出していたかも。

そうしてまた本が読めるようになっていきました。

本を読めなくなった時にすること。


私が本を読めなくなった時にしたことは書くことでした。
そしてまた本を読めなくなった時にこの本に書かれていたことで実践しようと思ったことは次の3つです。
・一人の時間を作る
・書くこと
・量ではなく質を追求

一人の時間を作る

読めない時間が私たちに何を伝えようとしているのかを感じ直すことから始めてみよう。
一人の時間と言ってのSNSやメールがつながる環境では一人にはなりません。
そのような環境から離れて、ひとりの時間を作ったら一つの場所を深く掘るじかんにあてましょう。

本を読むのを再開するにはまずゆっくりと読むことから始めます。
そして好きなところを読んだり気になったところを書き写したりします。
読めない時に最初から読もうとすると苦しいです。書くことはゆっくり読んでいる状態でもあります。ゆっくりと読むことで読む体力を元に戻していきます。

書くこと

書くことを始める。うまく書こうとしなくてもいいので自分の思いをそのまま書く。
書くことは自分の中にある言葉にならない何かを確認する作業でもあります。
本を読めなくなって本を読もうとしてもうまくいかない可能性があります。そのため最初から読むのではなく好きなところを読み、気になったところを書き写すします。
読む人と書く人が同時に働くとき読む人だけの人の眼にはけっして映ることのない新しい意味を感じ始めます。
私たちは書いているときはゆっくりと読んでいる状態でもあります。書くことはゆっくりと読むことの始まりでもあるのです。

量ではなく質を追求

肌感覚を取り戻すしましょう。本が読めなくなっているのは情報収集としての読書に拒否反応を起こしかつての様に本を読めなくなっているのかも。それは体からの合図で情報以外のモノを取り入れるための新しい「読む」感覚を取り戻さなくてはいけません。そうすれば自分のための本当に必要な本が分かってきます。

読書には確かな感覚を養っていかなくてはいけません。胸に響くとか腑に落ちるとか読みながら言葉にならない意味を感じる。そのためにゆっくりと読みだただ言葉と向き合いましょう。

おわりに


多くの本では効率的な読書法ばかり紹介されています。
読みたいのに読めなくなった理由とその壁を乗り越える方法を教えてくれる本はなかなかありません。
本をどう読むか、どのような本を読むかよりも、「読む」とは何か、ということを考えさせられました。

よく読みたいものが分からない、どれを読めばいい本が分からないと思う人もいます。
しかし読むべき本を見つけられないのではありません。むしろ、選択股が多すぎるのです。
そういう時は詩や童話などの簡単な本を読んでみたり
書くことを始めることで自分が読むべき本が読みたい本が分かるかもしれません。

読書だってもっと自由でもいいのです。
最初から読まなくたっていいのです。読みたいとことから読み始めてみる。そういう読み方だっていいのです。

私が本を読めなくなっていた時は無理をして苦手なことに挑戦したり
明るくふるまって本来の自分とはかけ離れた自分を演じていました。
しかも色々なことを引き受けて忙しかったと今では思います。

本が読めなくなっていた時間は私に無理をしているんだと教えてくれていたように思います。

もし本を読めなくなってしまった人はこの本を読んでみると
また本を読めるようになるかもしれません。

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